下調べをしてから苗木城址に行こうと思い苗木城址の入り口にある苗木遠山史料館に立ち寄りました。
苗木遠山史料館は、遠山氏伝来甲冑や太刀、大手門扉や柱などを展示する苗木藩や苗木城の歴史を紹介する施設なのですが・・甲冑よりも2階の神仏分離に関するコーナーが気になりました。
廃仏毀釈に関する苗木藩の歴史が紹介されています。
目次
苗木遠山史料館で見た穴観音の複製(レプリカ)
度肝を抜かれたのが、穴観音の複製。巨岩が蓋(屋根)になった穴観音のレプリカが置いてあるのです。パネルには、明治の廃仏毀釈についての解説がありました。こちらがレプリカ(複製)の穴観音です。
半分のサイズんしたレプリカです。本物があるなら見たい!と思いながら見学しました。
本物の「穴観音」を見に行こう!
苗木遠山史料館で、穴観音の本物は近くにありますか?車で行ける場所ですか?と質問すると地図に蛍光マーカーを引きながら説明をしてくださいました。
近くには中津川市鉱物博物館、夜明けの森、高峰湖もあり10分程の距離だと分かったので車を走らせました。上の地図だと詳しすぎるので書き直してみましたよ。
国道257号線からは夜明けの森、鉱物博物館と看板が出るので夜明けの森、鉱物博物館の看板を目標に進めば道を間違えません。
穴観音の所在地
穴観音の所在地は【〒508-0101 中津川市苗木721-3】カーナビで住所を入力します。もしくは高峰工業【〒508-0101 中津川市苗木716】に目印にされると間違えにくいです。
高峰工業までたどりついたら、目と鼻の先に穴観音があります。
見落としそうな小さな石碑
穴観音の石碑は非常に小さく見落としやすいのでスピードを落として走行してくださいね♪
アオサギも出迎えてくれました。背中向けてますけど。
お腹に黒い線が見えるシジュウカラ?らしき野鳥もいました。シジュウカラは、お腹の黒い線が太いほどモテるようですよ。
静かな場所なので野鳥も飛んでくるんですね。
明治の廃仏毀釈により苗木藩の仏像や石碑は取り壊されてしまったものの仏教信者たちは、一旦土に埋められた仏像や石碑を掘り起こし隠れて拝んだ場所なので、穴観音もひっそりした場所にあります。
のどかな道路で、進むと小さな石碑が見えてきます。穴観音の看板はありません。注意深く探さないと見落としそうな石碑です。苗木遠山史料館で説明してもらったように付近に駐車場はありません。
道路と畑の間に車を停めるスペースを見つけ車を降りました。歩いて1分の距離に穴観音があります。
穴観音の石碑付近で、すれ違った車は0台。とても静かで のどかな場所です。
穴観音が中津川市指定文化財(史跡)であることが記されています。
長さ6メートルの自然石に広さ10平米の堂内。期待が高まります。
薄暗い林の中に巨岩が出現
石碑を抜けると薄暗い林の中に大きな岩が見えてきます。しかし苗木遠山史料館でミニュチュアを見てきたので、これではない!と思いながら通過。
中津川市の蛭川、福岡、苗木の一帯は「苗木花崗岩」が分布しており、ところどころに巨岩が点在しています。巨岩の上に城が建っていたり、巨岩の横に民家や畑があるのは不思議な光景ですが、観光バスが入っていない場所に見どころが多いことに驚かされます。
中津川は、良い意味で観光地化していないんですよね。飛騨高山や下呂の観光協会を見ると、中津川市ももっと頑張れ!と思いますけど、非常に奥ゆかしいのです。巨岩の横で「名物!巨岩饅頭」を売ってたりしていません。
長さ6メートルの巨岩(穴観音)
長さ6メートルの巨岩が蓋(屋根)となったお堂が見えてきました。うわ~なんじゃこれ!!すごい迫力だな。
苗木遠山史料館の複製もすごかったけれど、本物の穴観音の迫力!!見に来て良かった!と思いました。
巨岩には、線が入っていますが雨水がお堂に入らないように工夫されているものなんですね。
雨降りの日にどうなっているか見たい気がします!!
心霊スポット?セルフタイマーが使えない!
巨岩の大きさを伝えたくて、穴観音の前でセルフタイマー写真を試みたのですが心霊スポットにありがちな・・セルフタイマーが使えなくなってしまったんですよ。だから私は映っていません。地元の人の中には、あまり写真撮らないほうが良いという人もいるみたい。
少し下がると(左側の)木の根元に大きな穴があいており何か飛び出してきそうでゾワゾワしました。
穴観音は心霊スポットでもパワースポットでもありませんが、巨岩の迫力とお堂に畏敬の念を抱かずにはいられませんでした。
のぞきこむと巨岩が覆いかぶさるように、岩の形に合わせてお堂が造られているのが分かります。
今はお堂が建てられていますが、昔は洞窟のような場所で隠れて拝んでいたんですね。
毎年4月の第一日曜日に扉が開かれる
毎年4月の第一日曜日に扉が開けられ勢至菩薩や馬頭観音が拝めるます。
戸には鍵がついておらず誰でも開けることができますが、ビビリなのでスキマからソッとのぞいてカメラのレンズ越しに撮影いたしました。
お堂の中は、鍾乳洞や洞窟みたいになっています。
お墓でいったら芝台部分は表面が整った石を使っていますが背後はゴツゴツしているのがお分かりいただけるでしょうか?さらに穴から覗き込み祀られている観音様を撮影しました。
少し下がって撮影すると巨岩が屋根のように覆いかぶさっているのが分かります。
身長150センチの私が手を伸ばしても届かない高さなので屋根天井部分まで2メートルとして巨岩の大きさは幅4メートル。高さ6メートル。
穴観音の左側には見落としがちな磨崖仏(まがいぶつ)もあります。
中津川苗木の穴観音に行ってきました。明治時代の苗木藩の廃仏毀釈って話には聞いたことあったけど実際実物は初めて見たので衝撃だった。
— 西ちゃん (@saikou24chan) March 21, 2021
来週は中山道歴史資料館に行く予定。#歴史#中津川#苗木#穴観音#廃仏毀釈 pic.twitter.com/XmTc1kfSr9
全体像は、こんなかんじ。
目立たないので見落としそうになります。
岩に掘られた磨崖仏(まがいぶつ)
磨崖仏は、自然の岩や岸壁を仏様に見立てた石仏のことで、よく見ると仏さまが掘られています。注意深く見ないと見落します。穴観音のお堂から見て左側に磨崖仏が掘られています。
こちらが磨崖仏の正面で撮影した1枚です。
穴観音にしても、桃山公園の女夫岩にしても苗木城址の石垣にしても、「大きい岩!」と写真を撮っていく人がほとんどですが・・実は歴史に思いを馳せると非常に面白いものなんですね。
苗木藩の廃仏毀釈の歴史
穴観音は、苗木藩の廃仏毀釈の歴史のあとなので本当に見るべきは巨岩じゃないのです。
平田派国学に心酔した青山直道大参事
慶応4年=明治元年(1868年)神仏分離令が出たのと、平田派国学に心酔した青山直道大参事が中心となり徹底した廃仏毀釈が行われました。
苗木城の守護神竜王権現を高森神社に改称させ、苗木城遠山家の菩提寺だった雲林寺(臨済宗妙心寺派)をはじめとして苗木藩にあった15のお寺はすべて取り壊し人々を仏教から神教に変えさせたのだから、すさまじい政策です。
寺院、仏像、仏具を取り壊すだけでなく手をあわせることを禁じ個人の位牌も焼却したと伝えられています。
切断された南無観世音菩薩(石像)
穴観音の周囲には斜めに切断された南無観世音菩薩(石像)があります。
写真を大きくすると南無観世音菩薩と書いてあります。
南無観世音菩薩や観世音菩薩は一般的に観音様とよばれており、南無観世音菩薩と唱えることで人々の苦悩から解放されるといわれています。
厳しい廃仏毀釈により、その命令を受け入れたものもいれば、あるものは涙ながら石像を切り、あるものは土に埋め、あるものは掘り起こし隠れて拝み続けた・・そんな歴史があるのです。手をあわせることすら禁じたという当時の政策、人々の信仰を変えさせる経緯は、想像すらできません。
ちなみに今も旧苗木藩の人々は神様を信仰しているためお葬式は仏式ではなく神式です。
切断された南無阿弥陀仏(石像)
反対側に目をやると上がってきた道路に向かって切断された石碑には南無阿弥陀仏と書いてあります。
政策により信仰を奪われた人々の思いが伝わってくるようです。
7体の小さな石像
穴観音をあとにして元の道を戻るとき小さな古い石像が7体並んでいるのを見つけました。
こちらは古いですが幸い切られてはいないようです。・・文字は解読できませんでした。
首を斬られたお地蔵様
首を斬られたお地蔵様もありました。
石工名として道石泉州東村 長田甚衛門、天和2年(1682年)の文字があります。
天和2年は徳川綱吉の時代です。200年以上拝んできたお地蔵様を苗木藩の廃仏毀釈により明治3年(1870年)。
人々の信仰心を奪った(私には想像できませんが)翌年の明治4年(1871年)廃藩置県によって苗木藩は廃藩となった苗木藩。
歴史の教科書で習う「明治時代」は「ざん切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と歌われているように華やかな文明開化の印象があったのですが地元を深掘りすると隠れた歴史が見えてきて非常に興味深く感じました。
旧苗木藩だった地域には、切断された石像が数多く存在するようなので他にも探してみたいと思いながら穴観音をあとにしました。
穴観音への地図、アクセス(道順)
国道257号線を下呂方面に向かい走り、満天星一休を通過した信号で右折。ビニールハウスを目印に左折して広域農道に向かいます。途中中津川市鉱物博物館、夜明けの森の看板を目印にすると間違えにくいです。
交通量も少なくのどかな場所にある穴観音、是非お立ち寄りください♪
苗木遠山史料館への地図、アクセス
「見たい山城ランキング1位」と注目を集めている苗木城址。苗木遠山史料館では、廃仏毀釈の歴史資料を見ることができます。
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